英語でワンダフルという言葉は、普通「すばらしい」と訳している。
つまり「りっぱ」とか「感動的だ」とかいう場合に使っている。
その言葉の背後には、「期待していたよりもはるかによかった」というニュアンスがこめられているだろう。

人間の想像力というものは、実にある意味では貧しいもので、それが2011年3月11日の東日本大震災の被害を示す言葉にも表れた。
つまり今回の津波は「想定外」の高さだったと言う人が実に多かったのである。

東京電力の関係者だけが、自分の責任逃れにそう言ってるなら、私は不愉快に思っただろう。
しかし大震災直後のテレビの中で、いち早くこの「想定外」という言葉を口にしたのは、その土地に住む人たちであった。
「当事者」の偽らない感情なのだな、と思えたのである。

普通、村には必ず昔からの言い伝えのようなものがあって、安政の旱魃の時には村を流れる川がこんなに干上がったとか、明治の地震の時にはどこそこの鼻と呼ばれる岬の岩が崩れた、というような話があって、それがかなり長く語り継がれるものなのである。
しかしそれにもかかわらず、今回のような「想定外」が表れるのが人生というものなのだ。

英語の「ワンダフル」は「フル・オブ・ワンダー」ということで、実は驚きがいっぱい、ということだ。
すばらしい、という表現の基本には「想定外」が含まれるらしい。

驚きがいっぱいであることが、すなわちすばらしいことなのだ、という発想は実は宗教的な解釈なのだろう。
神などいるものか、と言う人の考えに私は反対したことがない。
神がいるかいないか、誰一人として証明できる人はいないのだから。

ただ私は、神はいるという保証もないが、同じように神などいない、という保証もできないものだと思っているだけだ。

そういう場合、神の人格は人間をはるかに超えたものだと思われているから、もし実際に死後の私たちが神を見たら、いないと言い切ってしまっていると具合が悪くなる。
会社の人たちとしこたま酒を飲んで管を巻き、「社長なんかなんでぇ、あのバカ!」と怒鳴った瞬間に当の社長が目前に現れたらやはり具合が悪いものだろう。
だから私は神がいる方に賭けるのだ、といつも言っている。

「人間にとって成熟とは何か」

 曽野 綾子 著

 幻冬舎新書

 第一話 正しいことだけをして生きることはできない  より抜粋

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↓本書の腰帯・裏表紙側の紹介文です。

「もっと認められたい」 ― この思いが自分も他人も不幸にする。

幸せの度合いは誰にも測れない/「問題だらけなのが人生」とわきまえる/「努力でも解決できないことがある」と知る
おもしろさは困難の中にある/いいだけの人生もない、悪いだけの人生もない/「自分の不幸の原因は他人」と考える不幸
すべてのことに善と悪の両面がある/「目立ちたくない」は卑怯な姿勢/人の一生は最後の一瞬までわからない

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本書は友人から贈呈されて読み始めましたが、身近な話題からアジアやアフリカの貧困問題などまで多岐にわたる興味深い内容で、あっという間に読了しました。

上記の抜粋部分について、私は曽野さんのようにキリスト教徒ではありませんので神の存在は信じていませんが
本来の仏教的な考え方で、人の生命というものは
私たちが毎日、朝起きて夜寝るように、生まれては死に、また生まれては死にと、何度も生まれ変わりながら続いていくものだと思っています。

その場合、今回のこの人生が終わっていったん死んで、次にまた新しく生まれ変わった時に、現世での生き方、行ないが新しい人生に反映される可能性があるのかないのか
自業自得という言葉がありますが、善悪ともに自らの業(行ない)によって自らが(結果を)得るということが、来世にも持ち越されるのかどうか

もし、死後の世界に神がいないとしたら、もし、来世などなくて日ごろの行ないが来世に持ち越されることがないとしたら
その場合は、現世で誠実に生きたとしても、あとで損も得もありません。

しかし、もし死後の世界に神がいるとしたら、もし来世があって現世での行ないが来世に持ち越されるとしたら
その場合は、現世で不誠実に生きていると、あとで困ったことになります。

そういう意味で、動機は違いますが、結果として私は曽野さんの生き方に賛成です。
賭けの理論、確率論からしても人は誠実に生きた方が安心ではないでしょうか。



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爪を使わないセッティングで引っ掛かりが少なく使いやすいデザインです。



そんなわけで、私は来世を、生命の永遠を信じていますので
生まれ変わって新しい人生を歩んでいるであろう故人、これから生まれ変わって新しい人生を歩むであろう故人の
その新しい人生の幸せと無事を祈ってあげることが先祖回向・先祖供養ということではないかと思っています。


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