ガイドが、彼らを大きな滝の前に案内した。それは怒号する縒りあわせた円柱のようなものだった。
―― なめてごらんなさい」と、ガイドが彼らに言った。
なめてみるとそれは真水だった。水!この砂漠の中では、いちばん手近な井戸へ行くにも幾日歩かなければならないやら。
--------中略--------
―― さあ、向うへまいりましょう」彼らのガイドが言った。
だが彼らは動かなかった。
―― もっといさせてください……」
彼らは黙りこんだ、彼らは厳粛に、無言で、この盛大な神秘がほぐれ落ちるさまを見まもった。こうしていま、眼前、山の腹中からほとばしり出ているものは、生命だった。人間の血液そのものだった。一秒時間の流出量が、多数の隊商を蘇生させるに足りたはずだ。渇きに血迷って、狂おしく、蜃気楼と塩の湖に飛びこんで亡び去った多くの隊商を、いま、神はここに姿を顕示していた、どうして彼に背を向けて立ち去りえようぞ。神はいま、閘門をあけ放って、その力のほどを示している。三人のモール人は身じろがなかった。
―― いつまで見ていても、同じでしょう? さあまいりましょう……」
―― 待ってみてください」
―― 待てって、何をです?」
―― おしまいを」
彼らは待つつもりだった、神がその狂気の沙汰に疲れるときを、もともと吝嗇な神だから、じきに後悔するはずだった。
―― でも、この水は、千年も前から流れつづけているんですよ!……」
そんなわけで、今夜、彼らは、あの滝のことにはこだわらない。ある種の奇跡は黙殺するに如くはない。それどころか、あまり考えないに如くはない。さもないと、何もかもわからなくなってしまう。さもないと、自分たちの神が、信じられなくなってくる……。

『人間の土地』
サン = テグジュペリ 著
堀口 大學 訳
新潮文庫
「6 砂漠で」より 抜粋

縒りあわせた(よりあわせた)、 亡び去った(ほろびさった)、 閘門(こうもん=水面に高低差のある運河で水面差を調節する水門)、 吝嗇(りんしょく→けちと読みます)、 如くはない(しくはない)


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JR神戸線の新長田駅の南側を少し西へ行った若松公園内にある
鉄人28号のモニュメント。神戸市西区在住の友人から送られてきた写メです。



阪神淡路大震災の時、私と私の家族は神戸市灘区で被災しました。
あの時、水は、本当に、生命そのもでした。

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